木曜日, 1月 12, 2012

トヨタ自動車が原子力発電機を搭載した自動車を売らない理由

福島第一原発事故の「事故原因」が少しづつ解明されてきているようだが、なによりもこの事故から我々が学ぶべきなのは、どうやったら二度とあのような事故を起こさないようにできるか、という教訓だ。

そしてその教訓は、「防護壁をもうけて10メートルを越す津波にそなえること」のようなその場しのぎの答えでも、「すべての原発を直ちに止める」という極論でもない。

二度とあのような事故を繰り返さないためには、「事故原因」を「非常用ディーゼル発電機が津波により使えなくなってしまったから」という「直接の事故原因」を求めるだけでは不十分なのはもちろんだが、「津波の危険を知りながら対処を怠った東電が悪い」という「人的事故原因」を求めるだけでも不十分である。

もっとも重要なことは、なぜ東電が「津波の危険を知りながら対処を先送りするような行動に出たのか」を明確にし、その根本原因を修正することである。

普通のビジネスであれば、これほどの大災害を起こす危険があるのであれば、万全の安全対策を取るのが普通である。そして、万全の安全対策が取れないのであれば、そんなビジネスには手を出さない。

それは「万が一の大事故」を起こした時に会社が倒産してしまうからである。トヨタ自動車が原子力発電機を搭載した自動車を売らない理由はまさにそこにある。

では、なぜ東京電力は、津波の危険を知りながら、その対処を先送りし続けるような行動に出たのだろうか?

原子力損害賠償法があるからである。

原子力損害賠償法は表向きは「被災者の救済」を目的にしたように書かれているが(参照)、この法律の一番の目的は電力会社の救済である。わずか1200億円の損害賠償責任保険への加入を義務づけ、「賠償措置額(=1200億円)を超える原子力損害が発生した場合に、国が原子力事業者に必要な援助を行うことを可能とすることにより被害者救済に遺漏がないよう措置する」と規定している原子力損害賠償法は、「万が一の大事故を起こした場合にも電力会社は倒産させません」と言っているのに等しい。

被災者の救済が一番の目的であれば、「万が一の大事故の際に電力会社が倒産してしまった場合には、被災者への救済が国が肩代わりする」と規定するだけで十分だったはずである。

こんな電力会社救済法があるから、津波の危険に対しては何度も指摘されながら対処を怠って来たし、活断層の真上に原子力発電所を作るような危険きわまりないことを平気でしてきたのだ。

「万が一の大事故を起こしても電力会社は倒産させない」と規定している原子力損害賠償法こそが、東電に「津波の危険を知りながら対処を怠る」という行動に出させたのだ。

原子力損害賠償法が作り出すモラル・ハザードに関しては、Vermont Law School の Mark Cooper 氏の「Nuclear liability: The market-based, post-Fukushima case for ending Price-Anderson」がとても的確で建設的な指摘をしている。

彼は、福島第一での事故の一番の教訓は、原子力損害賠償法により引き起こされたモラル・ハザードこそが事故の根本原因であったことを指摘した上で、米国で福島第一のような事故を起こさないようにするには、(米国の原子力損害賠償法である)Price-Anderson法を廃止し、事業者に「万が一の大事故」の全責任を追わせるしかない、と指摘している。

原子力損害賠償法を廃止して、電力会社が全責任を追う事にすれば、事故を起こしたとたんに会社が倒産してしまうような大規模な原子力発電所は作らなくなるだろうし、安全対策にも本気で取り組むしかなくなり、津波への対処を先送りするようなことはなくなると彼は指摘する。

日本には「再生可能エネルギーは経済的に見合わない」と指摘する役人や経済学者がたくさんいるが、電源三法交付金と原子力損害賠償法の両方を廃止してしまえば、原子力発電ほど事業リスクが高く経済的に見合わないものはない。

「政治判断」で脱原発などしなくとも、電源三法交付金と原子力損害賠償法の両方を廃止すれば、ごく普通の経済原理で危険な原発はこの世から消えてなくなる。もし、「保険会社が損害保険を喜んで引き受ける」ぐらい安全で、かつ「再生可能エネルギーよりも安く」「交付金などなくても地方が立地を認める」原発が作れるものならどんどん作ってもらえば良いと思う。

Life is beautiful: トヨタ自動車が原子力発電機を搭載した自動車を売らない理由 (via maconn)