書評:「ブラックスワン」
数千年もの間、白鳥は白いものだと信じ続けていた人類が、その信念を放棄するのは一瞬のことでした。オーストラリアでたった一羽、黒い白鳥が発見されるだけで十分でした。それまでの知識が無力になるためには、たったひとつの外れ値があれば大丈夫なのです。
「あらゆるリスクをヘッジできる」と信じられていた金融工学の限界が露呈するのもまた、サブプライム問題という「黒い白鳥」が一羽見つかるだけで十分でした。しかもその黒い白鳥は、全世界の経済を混乱させるだけの衝撃を与えました。統計のベルカーブからいえば、めったに起こらない外れ値であったとしても、それがこれだけのインパクトを持っている以上、無視できない。いや、無視できないどころか、未来を見通そうとするときにはこうした外れ値にこそ注意を払わなければならないとタレブは言います。
歴史を振り返ってみると、こうした思わぬ外れ値的な出来事が世の中を動かしてきたことが分かります。たとえば技術進歩はそのひとつで、一度発明されてしまえば当たり前でも、それが発明されるまではまったく未知のもの、「黒い白鳥」でした。車輪の発明は大きな出来事でしたが、その発明前は「車輪があり、重いものでも簡単に運べる世界」というのは、まさに想像の外にありました。車輪という技術革新もまた、当時の人にとっては外れ値であり、黒い白鳥のように突然、歴史に登場し、そしてその後の歴史に大きなインパクトを与えたのです。
こうしたインパクトをもった外れ値に対処するためには、今現在知っていて、その発生確率も予測できる(つまり「白い白鳥」)に注目するのではなく、まだ知られていない、人間の知識の外にあるものに着目する必要があります。タレブはこういいます。「黒い白鳥は予測できない。私たちは(予測しようなんて無邪気にたくらむのではなく)、黒い白鳥がいる世界に順応するほかない。反知識、つまりわからないことに焦点を絞るなら、できることはたくさんある。」多くの人はわかったことを話しすぎる。わからないことにこそ焦点を絞るべきであり、なぜなら今後も世の中は、その今現時点ではわからないことによって動かされていくからなのです。ビジネスにおいても、それは同様です。
セブンイレブンの鈴木敏文会長は、企画部署の社員に「POSを見られないようにした」と雑誌で発言していました。バックミラーで過去を眺めていても、正面の道がどのように曲がっていくかは見ることができません。どのようにしてわからない道に対処するのか。そこに、今のビジネスで成功するための秘訣があるはずです。
そのヒントが言葉に依らないで知ってしまう思考の働きである「暗黙知」にあると私は思っています。前回取り上げた石井淳蔵教授の本では、その思考をビジネス・インサイトと名付けていました。新規事業の立ち上げの際に、「このビジネスはこうすればうまくいく」というブレークスルーを発見するとき、その発想はロジックの積み上げではなく、言葉に依らない直観や洞察に基づいているのです。
言葉による思考はどうしても「わかっているもの」の積み上げという意味でロジカルなものになり、その結果、外れ値を無視したベルカーブのみに着目することになってしまいます。そうではなく、外れ値を敏感に感じ取るための、言葉に依らない暗黙知の思考が求められているのです。
こうした新しい方法を模索しているのが21世紀という時代。その方法もまた、黒い白鳥のように突然、私たちの目の前に登場するかもしれません。黒い白鳥を外れ値として無視するのではなく、暗黙知による方法という黒い白鳥の登場を予感しながら仕事に取り組んでいくことが重要なのだと思っています。
