土曜日, 1月 2, 2010

カヤマーカツマー論争の論点?

さきほどテレビでもやっていて、でも内容はよくフォローできていないんだけど、でも「幸せの基準をどこに置くか」という問題と、「幸せになるための手段」という問題がごっちゃになっている感じがした。

幸せになるための手段としてのお金はやっぱりパワフルで、年収による幸せの度合いも、やっぱりあるんだろうと思う。そりゃあ、広いおうちに住んでたほうが幸せだもの。

でもだからといって、お金を幸せの基準に置くのは間違っていて、勝間さんもそんなことは言っていないと思う。もし香山さんがそれを指摘しているのであれば、それは香山さんの誤読ではないか。

香山さんは、努力して年収を上げて、その結果入るお金で幸せになる、という以外のアプローチがあるんじゃないか、という話なんだろうと思う。(本、読んでいないので分からないけど。)それはもちろんそう。その香山さんから見ると、勝間さんはその主張が、あまりに強くて断定的なところが気にくわないのだろうと思う。「そうじゃなくてもいいんじゃない」という相対論にもちこもうとしている。

こういう論戦はこれまでの経験上、香山さんが冷静にいなしていれば、相対論が判定勝ちに持って行ける。だって、人類は相対論を20世紀かけて学んできたのだから。ニーチェが「神は死んだ」といって、絶対的な価値基準などないのだと宣言して100年以上たつ。20世紀の後半は相対論がもてはやされた。

でも、そういう「なんでもありでしょ」という相対論も長続きしない。だってもなんでもありなんだもん。小沢健二はそれを「ありとあらゆる種類の言葉を知って 何も言えなくなるなんて そんなバカなあやまちはしないのさ!」と歌った。実際に、あやまちに陥るほど、「ありとあらゆる種類の言葉」を知った人はいなかったけど、相対論はそんな強さがあった。

だからこの点だけをとれば、香山さんの議論のほうが一方的すぎると言ってもいいかもしれない。相対論の前では、そんな断言できないでしょ、と言っているのだから。誰がどんな論陣を張っても、これは効果を発揮する、ジョーカーみたいなカードだ。

この相対論を乗り越えるには、という議論は長くなりそうだからちょっとだけトライしてみると、フィールドプレイヤーになるということだと思う。いや、フィールドプレイヤーという立場を自覚し、その立場を守り続けるということだと思う。

批判される立場になりやすい広告業界にいたとき、外部の人の好き勝手な批判を聞いて、「なんて身勝手な」と思った。本当の骨太の批判は、やっぱり業界の中に入って、業界を自ら変えていこうとする人がすべきだと思ったのだ。外野席からの批判は、ずるい。今でいえば、金融業界を批判する人が多いけれど、外野から言ってはいけないと思う。そんなの、なんとでも言える。

これを別の言い方で言えば、倫理観の問題なんだと言える。相対論を乗り越えるには、自らがその事態に巻き込まれ、その人が責任をとれる範囲で発言する倫理観が大切になるのだと思うのだ。

勝間さんに対して、仮に今っぽい?議論をしかけるとしたら、その倫理性を問うほうが本質的だろうと思います。勝間さんに限らず、僕を含めたビジネス書作家は、その内容の倫理性を問われることが一番厳しい。「本当に年収10倍になるんですか?」と言われたら厳しいでしょ。「効率、本当に10倍になるんですか?そのライフハックとやらで?」と言われたらグゥの音もでないでしょ→ぼく。

僕は、なので「楽しい」とか「創造性」という言葉に置き換えてる。倫理的にセーフなラインを選んでる。(まあこれは、倫理的というより、ずるいといった方がいいのかも。)

テレビではビートたけしが、そのあたりのことをぽろっとだけど、さすがに厳しいつっこみをしていた。あまりに厳しいものだったので、ここで書くことはしない。僕もどきっとした。気になるでしょ? でも書かない(笑)。

この倫理観をさらにおし進めていくと、世界観ということになる。僕はハックシリーズを書くにあたって、このことを大切にした。世界観をもつこと、その世界観を一貫させること、ここに21世紀の倫理観がある。

ひとそれぞれ、いろんな世界観があるでしょ、という話が20世紀の相対論だったとしたら、それを前提として、そのもっている世界観が「けっこうすごいでしょ、クオリティ高いでしょ」というのが21世紀の議論なんだと思う。『1Q84』はだから、今っぽい。絶対的な主張じゃない、世界観なんだ、という。まだ読んでないけど。

香山さんの世界観はどんなものか、まだよく知らないけど、勝間さんの世界観と比べてどれくらい豊かなものなのだろうか。その豊かさを競った方がいいのではないか、と偉そうに書いてみる。

いやあ、他人事じゃない。